小津「晩春」

昨日は久々にS氏、H氏と新宿へ。H氏オススメのもつ鍋屋で舌鼓を打ち、定番のカラオケ。結局、始発まで。後半はいつも通りS氏の独演会となった。
少し寝て、近くの東京農大の学園祭にぶらりと行ってみた。なんでも出店数が日本で一番多い学園祭だそうだ。子供から大人、おじいちゃんおばあちゃんまで、えらく幅広い年齢層の人たちが訪れるちょっと他の大学の毛色の違う学園祭だ。

晩春
晩春小津安二郎 笠智衆

松竹 1991-05-29
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おすすめ平均 starstar『東京物語』なんか比にならないね。
star父娘の情愛と別離。究極の表現。
star怪作!

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帰ってから久々に小津の「晩春」を観た。「晩春」は小津の戦後初作品だ。その後の「麦秋」「東京物語」という三部作に連なる記念碑的な第一作とも言える。

ボクは一時期、小津にどっぷりはまっていたことがあり、小津が戦後撮った映画はおそらくすべて観てるのだけど、やはり「晩春」が一番好きかも知れない。

小津映画に初起用されたヒロイン原節子の美しさにはほんと息を呑む。ちょっと現実離れしてるのだが、なぜか小津のフレームに納まると、庶民の生活の中に溶け込んでいく。ちっとも違和感がないのが不思議だ。

能を観た帰り道、並んで歩く父と娘。能で見かけた父となにやら関係のありそうな女性を見かけ気になる娘。周りから執拗に結婚を促されながら娘は父が気がかりで、出来ることならこのまま父と暮らしていきたい。そんな娘の気持ちを知ってか知らずか淡々と歩く父。少し拗ねて娘は「寄り道して帰る」と、父を追い越し、父を置いて早足で道を渡っていく。その後、歩く父の背中がインサートされる。その背中の寂しさたるや。

そして最後。娘を送り出し、独りで家に帰ってきた父がリンゴの皮を剥く。そして静かに肩を落とす。自分を心配して結婚に行けない娘についた父の一世一代の嘘。あのシーンを思い出して思わず泣きそうになる。父を問いつめる娘に、ただ木訥に頷く父。あの時の父の気持ち、つらさがここになりじわっとこみ上げてくる。

小津映画の魅力はなんといっても映画技法的なものを駆使した感情の揺れ動きや高まりを演出しないことかもしれない。過剰な演出がないからこそ登場人物達のふとした仕草や表情が大きな意味を持つ。
盛り上げようと思えばいくらでも盛り上げ、泣かす演出に走れようものの、小津はあえてそれをしない。ただそこに流れる時間をしっかりと刻むかのように固定の低位置カメラは留まる。登場人物達の会話シーンなどでもそうだ。通常ならAとBが会話していることを演出するならどちかを中心より右位置へ、どちらかを左位置に配置して絵をつないでいく。
会話のテンポをとるためにAが話し終わる最後にBの聞いている顔に切り替わり、Bの会話が始まる。しかし、小津は一切そういった当たり前の演出をとらず、ほぼ正面からバカ正直とも言えるような絵をつくる。それぞれの会話が終わるまでカメラはその人物を捉え、一瞬の間が入り、聞き手(次の話し手)に切り替わる。
そこに小津独特のテンポというか間合いが生まれている。このテンポがなければ父が娘につくあの嘘のシーンのリアリティは生まれてこないだろう。

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