キルビル/ボーリング・フォー・コロンバイン

タランティーノ久々の新作「キルビル」
すでに乗り遅れた感があるものの、とりあえず観ておかねばと、「ボーリング・フォー・コロンバイン」を観る。

ボウリング・フォー・コロンバイン

ボウリング・フォー・コロンバイン

いやはや「キルビル」。
タランティーノは本来、B級映画監督だと思う。
そして、B級のかっこよさというか、そういうものを追求するところにタランティーノらしさがあるのではないかと思うのだけれど、この「キルビル」に関しては、B級以下だ。
なにもかもが中途半端だ。もちろんA級を期待して観に行くと、途中で席を立ちたくなるかもしれない。キルビルを観てから座頭一を観れば、座頭一の殺陣が凄いと感じるだろう。
ユマ・サーマンの立ち回りは素人目に見ても、馬鹿にしている。その素人くささというか、馬鹿っぽさを「売り」にしているのかというとそういうわけでもなく、中途半端に「本物」を目指そうとしてしまうから、こんな消化不良の映画になってしまうのではないか。「少林サッカー」を目指すのか、「座頭一」を目指すのか、はっきりさせるべきだろう。

栗山千明はよかったけどね。

「ボーリング・フォー・コロンバイン」については、観る前にあまりにも情報を多く得すぎてしまったので、特に驚きはなかった。しかし、アメリカの闇というか病を、アメリカ人自身が告発し、それを映画というメディアをつかって、世界に語るというのは凄いことだと思う。
チョムスキーも語ってるように、やはりアメリカでは、卑屈なぐらいメディアはコントロールされきっている。

しかし、チャールストン・ヘストンの馬鹿さに比べ、マリリン・マンソンの頭のよさというか、考えの深さというか、そういうものが浮き彫りになっていて面白かったな。

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