動物化するポストモダン

動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会

動物化するポストモダン―オタクから見た日本社会

「オタク」を通じて、80年代以降の日本の文化状況の分析しようという試み。「郵便的不安たち#」の仕事の延長なので、そこに語られていることに驚きや感動はない。

さまざまな事例を持ち出しつつ、「ポストモダン」における社会システムがどのようなものかということを、得意の二分法的思考で分析している。しかし、ではそのような世界において、人々はどのように生きるのか、という問いへは踏み込んでいない。それに踏み込むことが大事というわけではもなく、もちろん今、この状況を冷静に相対化するということも重要だろう。精神分析では、自分が自分自身を正確に知ることはできない、という前提に立つが、「自分には自分でも知りえない部分がある」ということを知ることが重要だとされる。それと同じようなものだろう。

以下は読書メモ。
(ほとんど校正などもせずに、思いつくままを引用して、そこで考えたことをまとめただけです。なんで、構成とか無茶苦茶です)

■オタクに特徴的な世界観

オタク達の特徴的な世界観は

「萌え」とは、「キャラクター(シミュラークル)と萌え要素(データベース)の二層構造で成り立っている」


オタク系検索エンジン「TINAMI」は、そのもっとも特徴的な検索システムだ。
「TINAMI」ではキャラクターの部分的な特徴を細かく指定して、自分の好みに合うイラストを効率よく探すことができる。

たとえば、

萌え要素を「猫ミミ」と「メイド」を指定し、「キャラ含有率」を75%以上に、「キャラ年齢」を10歳から15歳に、「ディフォルメ度」を5に設定して目的のサイトを検索する


という具合だ。

僕は「TINAMI」を知らなくて、はじめて使ってみたのだけれど、これは驚きだ。たとえば、「キャラ性別」も「女100%─男0%」から「女25%─男75%」という具合に細かい条件が指定できたりする。うーむ。ほとんど理解不能。

こういった検索システムなどから、東さんは、オタクにおいては、「匿名的に作られた設定(深層にあるデータベース)と、その情報をそれぞれのアーティストが具現化した個々の作品(表層にあるシミュラークル)」が存在するのみであるとし、それがいわば、ポストモダン的な世界観の特徴としても一般化できると言う。

もちろん、データベースからの要素の抽出と、それを組み合わせてつくられるシミュラークルという構図はは何も今に始まったことではない。

キャラクター小説の作り方」で大塚英志は、手塚治虫の自分のまんが絵が「記号」の組み合わせだった、という発言などを例にとりながら、「近世の歌舞伎、そして戦後まんがと、その時代時代の物語表現は常にデータベースからのサンプリング、あらかじめ存在するパターンの組み合わせなのです」と、批判している。

たしかに、「物語」の祖形は、神話や聖書、千一夜物語などに求められるだろうし、その意味では、「データベース的設定」は、オタク文化に特徴的なことではない。

しかし、このシミュラークルとデータベースという二分法の構図において重要なのは、東さんは明言していないが、このようにして生み出されたキャラクターに、オタク達がセクシャリティを抱いているかいなかということだ。
「萌え」とはそもそも、オタク達が虚構のキャラクターに対して感じるセクシャリティを戯画化することで生まれた表現だ。
(このあたりは、斎藤環の「戦闘美少女の精神分析」で、詳しく分析されている)

簡単に言ってしまえば、オタク達はそういった極めて虚構性の高い、単なる要素の組み合わせのキャラクターでさえも「抜ける」ということだ。(僕にはまったく理解不可能なんだけど….)

つまり、オタクは「虚構重視」の姿勢が徹底している….. では、なぜそれほどまでに「虚構重視」の態度が生まれるのだろうか?

■ポストモダンにおけるコミュニケーションのあり方

オタクの行動を特徴づけるのは「虚構重視」の態度であり、それは、単純に虚構と現実の区別がつかなくなっているわけではなく、「社会的現実が与えてくれる価値規範と虚構が与えてくれる価値規範のあいだのどちらかが彼らの人間関係にとって有効なのか」ということを天秤にかけた結果だと分析する。


オタク達が趣味の共同体に閉じこもるのは、彼らが社会性を否定しているからではなく、むしろ、社会的な価値規範がうまく機能せず、別の価値規範を作り上げる必要に迫られているからなのだ


とする。そして社会的価値規範が機能しなくなったのは、お決まりの「大きな物語の凋落」を真因として語っている。

東さんは「オタク一般」として、語っているが、これらのことが「オタク」だけに特徴的な行動や価値観かというと、必ずしもそうではない。
「オタク」はもっとも先鋭的に、極端に、こういった特徴が現れているだけであり、これらの特徴は今を生きる市井の人にほとんど当てはまることだろう。

たとえば、僕たちには、60年代、70年代に力を持ったような「共産主義」的な神話もなければ、それこそ「国家」や「親」あるいは、「出世」といったものもない。辛うじて社会的価値規範として機能していた「マスメディア」でさえも、昨今のテレビ視聴時間の低下などを見るとその役割を果たせなくなりつつあるのではないかという気がする。(テレビ視聴時間の低下は、インターネットやケータイ電話の利用時間にとって変わられているのだろうか?)

社会的な価値規範を妄想的につくりあげようとしたのが「オウム真理教」だったわけで、「オウム真理教」がなぜ、あれほどの高学歴の人達を惹きつけてしまったのか、というのは、単に「馬鹿だった」ということではないだろう。その背景には、「物語」の喪失による「生き難さ」に、麻原の語る「理想」がぴったりとはまってしまったことがあるのだろう。(僕はオウム事件を擁護したりは絶対にしないのだけど)

「社会的な価値規範」が凋落するとコミュニケーションが難しくなる。つまり、簡単に言ってしまえば「話題」がないということだ。つまり、見渡せば私たちの周りには「他者」ばかりということだ。何かしらの共通の言語を有する人達を見つけることは極めて困難になりつつある。

価値規範が断片化すればするほど、コミュニケーションは難しくなってくる。オタク達は、そのような状況に対して、「趣味の共同体」に閉じこもるという行為にでるが、オタクに限らず、多くの人が同じような行動に出ているのではないか。その「趣味」が「アニメ」ではないだけで、ほとんどの人は閉じこもっているのではないか? 閉じこまらざるをえなくなっているのではないか?

現実の必然性はもはや他者との社交性を要求しないため、この新たな社交性は、現実に基盤をもたず、ただ個人の自発性にのみ基づいている。したがって、そこでいくら競争や嫉妬や誹謗中傷のような人間的コミュニケーションが展開されたとしても、それらは本質的にはまねごとであり、いつでも「降りる」ことが可能なものでしかないのだ。


僕がウェブに惹かれるのは、他者のコミュニケーションを、こちらの存在を知らしめることなく、傍観できることと、また自身がそのコミュニケーションに踏み込んだとしても、いつでも「降りる」ことができるからではないか?


■「大きな物語」なき世界での人間性

ポストモダンでは超越性の観念が凋落するとして、ではそこで人間性はどうなってしまうのだか? という問いは、ノベルゲームへのオタクの反応などを分析しつつ以下のように述べている。

ポストモダンの人々は、小さな物語と大きな非物語という二つの水準を、とくに繋げることなく、ただバラバラに共存させていくのだ。分かりやすく言えば、ある作品(小さな物語)に深く感情的に動かされたとしても、それを世界観(大きな物語)に結び付けないで生きていく、そういう術を学ぶのである


そして、最後にこう結論づける。

データベース型の世界の二層構造に対応して、ポストモダンの主体もまた二層化されている。それは、シミュラークルの水準における「小さな物語への欲求」とデータベースの水準における「大きな非物語への欲望」に駆動され、全社では動物化するが、後者では擬似的に形骸化した人間性を維持している。

[略]

この新たな人間を「データベース的動物」と名づけておきたいと思う。

[略]

ポストモダンの人間は、「意味」への渇望を社交性を通しては満たすことができず、むしろ動物的な欲求に還元することで孤独を満たしている。

[略]

世界全体はただ即物的に、だれの生にも大きな意味を与えることなく漂っている。


これは宮台真司が分析している現在の社会状況(「島宇宙化」)とほぼ同じだ。宮台さんは、こういった状況にたいして「ブルセラ少女」の「戦略」を、「生きる術」として獲得すべきと語る。一方で、東さんは、「縦方向ではなく、横方向への超越性、その実践」を行わなければならないと、別のところで語っている。

どちらの戦略が優れている優れていないとうことではなく、結局のところ、もう「大きな物語」なんてないんだという自覚を基盤として、そんな「今」を誇大妄想で埋め合わせなどせずに生きなきゃならないということか。

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コメント

  1. *play より:

    つぶやき:あなたの根源的な欲求はなんですか?

    東浩紀という批評家がいる。ジャック・デリダに代表されるフランスポストモダン哲学と現代日本のオタク文化を結びつけた論考で知られる。近年では、情報技術の発達に...

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