バランスという言葉の危険性

「バランスが大事」とよく言う。
極端な思考に偏らず、バランスよく物事を考え、判断しなければならないと。
そんなことが大事なことは誰でもわかることだが、あえてこういう言葉をよく使うというのは、多分、極端な思考が問題を引き起こす事が多いからかもしれない。
しかし、最近、ふとこの言葉もかなり危険な言葉ではないかと思えてきたのだ。
自分が「バランス」という言葉を使うときに状況などを後で振り返ってみると、時としてそれは本来ならどちらかに偏った選択が必要なのにもかかわらず、それをある意味誤摩化すために使ってることがあるということに気づいたのだ。もちろんその時は誤摩化そうなんて気はさらさらないのだが、結果的にはどっちつかずの中途半端な状態を維持するという選択であり、それは決断を避けたということだったりするのだ。

例えば、会社の理念だとかポリシー、そして価値観みたいなもの。こういうものはバランスを重視しすぎてては伝わらないのではないだろうか。
私が大好きな会社の1つでKAYACという会社がある。KAYACが掲げる理念の一つには「量が質を生む」というものがある。彼らはこの理念にとにかく忠実だ。
彼らはこの理念を掲げ、この理念に基づき、「BM11」なるプロジェクトで1年間に77個の独自サービスをリリースするなんていうMっけたっぷりの企画を打ち立て、そして実際に昨年達成している。今年は88個にチャレンジするそうだが、このプロジェクトなどはまさに、「量が質を生む」という企業理念にのっとったものだ。
この企画ほど端的ではないにせよ、彼らの打ち出すサービスや考え方などのいたるところには「量が質を生む」というポリシーが貫かれているように思える。

彼らは「量が質を生む」というスタンスをとるわけだが、世の中には量などどうでもいい、大事なのは最終的な結果、質なんで、そのために「量」が必要であれば量をとればいいし、「量」をとらなくても「質」が達成できるならそれでもいいじゃないか、というようなスマートな考え方に落ち着くケースのほうが多いだろう。

「量が質を生む」にしても「量より質を重視」にしても、どちらでも同じことなのだが、仮にこの二者択一の場合に、どちらを重視するかと問われたときに「バランス」という言葉で曖昧にするというのが、よくある態度なのではないか。極端は良くない、という前提がそこにはある。どちらも選択しない。時と場合によってケースバイケースで柔軟に対応していけばいい、というのも一つの決断なのだろうが、価値観やポリシーみたいな領域で、そういう決断を続けていくと、何が最も重要なのかということが見えにくくなってしまうことは避けられないのではないだろうか。どっちかを選択したらどちらか側についてる人を蔑ろにしてしまう、という優しさもそこにはあるのだろうが、バランスが重視されすぎると、器用にうまく立ち回ることが重視され、どちらかに偏って突っ走ることが憚られていく。それが大人の組織なのかもしれないが、そういう組織には熱がなくなるような気がする。そういう組織からはブレークスルーは生まれないのではないだろうか。

会社のなかではその会社の価値観やポリシーを決定していく重要な選択肢がたくさんある。道徳的に間違っている、法律上駄目というような質問には簡単に白黒付けられるだろうが、この領域の大部分の質問は、どちらの答えをとっても「正解」であり「失敗」であるようなものばかりだ。
そんな選択肢はいくらでも思いつく。「ハイリスクハイリターン/ローリスクローリターン」「専門性を深めていくことを重視するのか、総合的に広く様々なものにチャレンジしていくことを重視するのか」「チャレンジを重視するか、失敗しないことを重視するか」「社員、株主、顧客のプライオリティは?」「営業(仕事をとってくる)と開発(制作)のどちらが重要か」「自主性を重んじるのか、徹底した管理か」「報償か罰則か」などなど。どんな質問でも答える人によって千差万別、置かれてる状況や立場、会社環境、雰囲気みたいなものによっても大きく変わるものばかりだろう。

こういった問題へのもっとも簡単な解決は「バランスをとる」というものだ。どっちをとるでもなく、どっちも重要なのでうまくバランスをとらなければいけない。状況にあわせて判断を変えればいいし、人によって判断を変えればいいので、「バランス」ってところに落ち着くのが一番楽といえば楽だろう。
しかし、「バランス」で済ませていると、多くの人に共通の価値観やポリシーを植え付けていくのはどんどん難しくなる。ある時は「社員を最も重視する」という姿勢を打ち出したのに、状況によっては「顧客が一番」になってるというのは、よくあることなのかもしれないがこれでは何が重要なのかわからなくなる。
「バランス」思考ってのは簡単といえば簡単なので(実際に実行するのは難しいが)、あらゆるところに広がっていく。会社のオペレーションは「バランス重視」になり、評価制度や規則も「バランス」を取る方向に進む。誰にとってもそれほど都合が悪くなく、誰にとっても都合が良すぎない。とても中途半端なもになる。

価値観やポリシーみたいな不安定で不確定、曖昧なものに「バランス」みたいな考え方を持ち込まないこと、それで安易に片付けないこと。
自分たちが信じる価値は何なのか、ポリシーは何なのかをもっと突き詰めて考えること。選択をすることや決断をしていくというのは一方を蔑ろにするということを避けられない。しかしいつもどちらの立場も重んじて判断を曖昧にしておくことが続けば、結局は、どちら側からも信じられなくなってしまうのではないか。





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