自由奔放な会社、セムコ社。
セムラーイズム 全員参加の経営革命 (SB文庫) (文庫)
奇跡の経営 一週間毎日が週末発想のススメ (単行本)
ブラジルのコングロマリット「セムコ社」を率いるリカルド・セムラーの著書を立て続けに2冊読んだ。
セムコ社には普通の会社には当たり前のように存在しているものがほとんど何もない。
服装規定や出張規定もなければ、出勤時間もとくに決まりはない。好きな時に出勤してもいいし、好きな時に帰ってもいい。出張の際に、いくら以下のホテルに宿泊しなければならないなんて規定もない。
階層構造や組織図もなければ、目標予算もない。なんとトップが掲げる戦略みたいなものさえない。社員は給与さえも自身で決定する。
これだけ聞いてるとまったく夢のような会社だ。
そしてそれを象徴するかのように離職率もほぼゼロ。誰もこの会社を辞めたいとは思えない。従業員全員にとってパラダイスのような場所。それがセムコ社だ。
確かに気にしれた数人でやってるような会社にはそういうところもあるだろう。が、セムコは売上2億ドルを超え、社員数も3000人を超える所謂「大企業」だ。
ビジネススクールで教えるような経営モデル、経営戦略みたいなものでは到底、そんな会社が成立してるのが説明がつかないような破天荒ぶりなのだが、なんとこの会社、成長しつづけている。その秘密は?
最初に『奇跡の経営』を読んだのだけれど、こちらだけ読むと確かにここに書かれてあることは理想以外の何物でもなく、どう考えても夢物語にしか思えなかった。たまたま偶然や奇跡的にそういう制度といか仕組みがうまくいっただけで、他の会社が真似できるわけもなく、また、そもそもこういう会社の成り立ちが、これからもうまくいくわけもない。そんな穿った見方をしてしまう。
しかし、『セムラーイズム 全員参加の経営革命』の方を読んで、その考え方はほぼ一掃された。もちろん、だからといってどこの会社もがセムコ社のようにできるわけではないことは当たり前なのだけれど、少なくともセムコ社が偶然や奇跡でそういう会社になったのではないということがよくわかった。
そもそもセムラーが親父からセムコ社を引き継いだ時、セムコ社はどこにでもあるような中小企業であり、会社のマネジメントやルールもこれまたどこにでもある企業と変わらないものだった。就業規則があり、出張規定があり、給与規定がある。普通の会社だ。
引継ぎ当初は経営危機の状況を乗り越えるための営業話がメインで、このあたりの話は規模は違えど、自分たちの創業当時や経営がすごく苦しかった時期の話にオーバーラップして親近感さえ覚えた。
大型契約をすんでのところで勝ち取って、なんとか首の皮一枚つながって、という自転車操業状態がしばらく続く。
そして、そういう状況を乗り越えながら、徐々にセムラーは会社の改革を進めていく。
これほど前例もない会社をつくりあげた男なのだから、セムラーにはものすごいリーダーシップと実行力が備わっているのではないかと思うかもしれない。しかし、本書を読むかぎり、そういうわけでもない。何がなんでも頑固一徹、豪腕で押し切ってしまう、精神的にもタフ、そんなマッチョな人間ではない。1つ1つの改革、ルール撤廃、旧経営陣の刷新みたいなことにも思い悩み、自身でとことん考え、そして自身ももがき苦しみながら、少しづつ仲間を増やしていき、組織に変化をもたらしていくのだ。
全部が一気に変わったわけではない。最初は些細なところから始まる。
そこには信念として従業員を大人として扱うということや、数%の従業員のために残り多くの従業員までもがそれに従わなければならないのはおかしい、という考えがある。
たとえば、工場からはよく備品が盗まれる。なので当時は、退社の際に警備員が社員のボディチェックを行っていた。
セムラーはこれをなくしてしまう。確かに備品をくすねる人はいるかもしれないが、それは極々僅かの人間で、その人間のために、その他大勢が「くすねているかもしれない」という前提でチェックを受けるのはおかしい、という発想だ。
確かにそうなのだけれど、普通の会社ではそこで律しないければ、なし崩し的に規範が緩んでいって、「その他大勢」だった人たちまで悪い影響を受けてしまう、、、そんな風に考えるだろう。しかし、セムラーはそうは考えない。従業員は大人だ。そんな馬鹿なことをするわけがない。言うは易し。なかなかそう信じられるものでもない。
少し話が脱線するかもしれないが、ボクは京セラの稲盛さんの考え方も好きで、稲盛さんならこの場合、「盗みを働くことができるようにしている会社が悪い」ということになる。つまり、備品をくすねさせてしまえる環境が悪い、だからそうできないような環境をつくることが会社がすべきことなのだと。
誰の目も届かない、自分しかいないところに目に前にお金が積まれていたら、邪心がない人でも惑わされてしまうことがあるだろう。それは仕方がない。だからそういう状況をつくってはならない。人を犯罪者にしてしまうような環境をつくってはならない。これが稲盛哲学だ。一方、セムラーの場合は、そういう状況であっても、ほとんどの人は惑わされない。大人な対応をするはずだ、と考える。だからそのために管理とか監視するのはムダだし、多くの従業員に対して失礼だと考える。
出張規定がないから、出張の時に高いホテルに泊まって豪遊する、なんてのは馬鹿げていて、そもそも規定がないからといってそんなことをしてしまうなら、そういう人を雇ってること自体が問題だろう。そういう考え方なのだ。
どちらが正しくて、どちらが間違ってるというわけでもないとは思うが、共通するのは「社員を幸せにしたい」というポリシーだろう。
さて、セムラーは次々と既成概念となっている規則やルールを変えてゆく。変えた当初は戸惑いもあるものの、それに適応していく従業員や会社の姿をきちんと書いてる。
こういうあらましを読んでいると、この会社がかなり明確な意思と決意をもって、ありたい姿を追求し、そしてその姿になってきたのだということを伺い知れ、この世に稀なる成功譚がたんなる夢物語、奇跡だったのではないことがよくわかるのだ。
もちろんこういう自由奔放さが許されるのは、実は、その裏には報酬体系などが連動しているからだ。社員全員に数字が明らかにされていて、数字と自身の給与に連動性があるからこそ、会社に被害を与えることが、自分にとっても損なのだといことを全員が理解しているのだ。
今日、会社にあったハーバードビジネスレビューの2007年11月号をぺらぺらとめくっていたらセムコ社についてのコラムが掲載されていた。タイトルは「自由奔放のマネジメント」。見出しにある「管理主義と決別し官僚主義と戦う」という言葉がセムコ社の組織を象徴している。
そこには紹介した2冊には乗ってなかったセムコ社の組織体制や報酬制度の概略が掲載されている。報酬体制に関しては、改革の模様が『全員参加の経営革命』の方に載ってるので概略はわかったのだが、こちらにはもう少し具体的に載っている。
以下は、P.50~52の抜粋だ。
セムコ社には階層や組織図がないと言ったが、それはどういうことか?
セムコ社は「サークル型組織」というものを導入している。これは今までの組織図のような系統樹的なヒエラルキーを表現するものではない。
サークル型組織は、図で表せばその名の通り「円」となる。
それは三つの同心円で構成されている。
1つは5人で構成される中央の小さな円。ここが会社の行動を統轄するところだ。普通の会社なら役員やマネジメントということなるのだろうが、セムコ社では、この5人を「カウンセラー」と呼ぶ。
第二の円は第一の円より大きく、ここには所謂「事業部長」たちがいる。ここを「パートナー」と呼ぶ。
その外側に第三の円があり、ここにその他の社員全員が含まれ、彼らは「アソシエート」と呼ばれる。アソシエートは部下を従えることはないが、一部の人たちは常設ないし臨時のチームやタスク・フォースのリーダーを努めることある。このリーダーは「コーディネーター」と呼ばれる。
つまり、セムコ社には三つの管理階層と、カウンセラー、パートナー、コーディネーター、アソシエートの4つの肩書きしかない。
アソシエートがコーディネーターやパートナーより高給取りである場合もある。「経営陣」でなくとも、高い給与、報酬が受け取れる仕組みが用意されているのだ。
アソシエートは、他のアソシエート全員の面談、承認がない限り、採用や昇進の実施がない。アソシエートは自分たちのボスであるパートナーやコーディネータを選ぶことができる。年に二度、アソシエートが上司を評価する。同じく年に一度、全社員が会社の信頼度と経営陣の能力について匿名アンケートに回答する。
重要な決定は共同決定が原則であり、時には全社投票が行われる。
これらは階層組織と官僚主義と戦うためにある。
セムコ社では各事業部がプロフィット・シェアリング制度を設けている。
年に二度、各事業部の損益計算書に基づいて税引後利益の23%を計算し、その額の小切手を各事業部のアソシエートたちよって選出された三人の同僚に渡す。
三人はこのお金の使い道を事業部社員全員で決める。
ほとんどの事業部は均等配分を行う。
なお、社員は以下の11の報酬体系から組み合わせて給与体系を決めることができるようになっている。
- 固定給
- ボーナス
- プロフィット・シェアリング
- 報奨金
- 販売ロイヤルティ
- 利益ロイヤルティ
- 総利益に応じた報奨金
- 自社株またはストック・オプション
- シニア・マネジャーの場合、各担当事業を株式公開あるいは売却した時に行使できるワラント
- シニア・マネジャーの場合、自己の年間目標に関する評価に応じた報酬、または設定した目標に達成した際に受け取る報酬
- 現在の株価から3年後のそれを比較して上昇した場合、その上昇分に応じた報奨金
ルールや規則がないセムコ社だが財務管理についてはかなり徹底しているようだ。
そりゃそうだろう。
毎月四日目までには数字を出すように求めている。社員は製品の価格、コストを理解している。月次でバランスシートも配布されており、各人が何をつくっているのか、コストがどれだけかかっているのかが正確に記されている。
ある時期まで、社長が理想に描いていたのは、セムコみたいな会社だったのではないか。
だから社長は社員一人一人にとにかく会計知識をつけさせようとしてたし、当時の会社の規模としては不釣合いな会計システムを導入したりしてた。当時、ボクはその意図について実はあまりよくわかっていなかったのだけれど、今思えば社長がやりたかったのはセムコのように各社員が数字を理解して、自律的に動く、そんな姿だったのではないか。人数が増え、組織が大きくなるにつれ、自然とルールや規則ができてきて、なんだ理想としている組織とは少しづつズレができているような気もするけれど。
会社にはいろいろなルールや規定があるけれども、そのほとんどは社員がやる気を出すようなものではない。ルールや規定がそういうものだと言われればそれまでだが、ルールや規則をつくっていくごとに、社員に対しての足枷が重くなっている気がする。これはどうなのだろうか。社員にとって面白く、そして働くことがより愉しくなるような制度やルール、規定だってつくれるだろうと思うのだ。
何かのルールや制度をつくるときには、それが従業員のやる気をひきだすのかどうか、従業員にとって価値あるものなのかどうか、それがお客さんに提供する価値を高めるものなのかどうか、みたいな視点での検討もしていくことが必要だろうと思う。
明日からセムコ社のようになれるわけではないだろうし、セムコ社のやり方すべてが理想でもないだろうけれども、従業員との信頼関係、働く人たちが仕事を愉しめ、人生に生きがいを見出せ、この会社で働けて、この会社の従業員たちと働けてよかった、そんな風に思ってもらえる会社、環境、組織というものは、常に模索しつづけなければならないし、目指さないと駄目だろうと思う。
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