散髪哀歌

床屋という言葉は差別用語なんだそうだ。侮辱語になるそうで、TVやラジオでは「理容院」「理髪店」などと言わなくてはならないらしい。しかし当の理髪店のみなさんは、自分の職業を床屋と称されることに差別感を抱いているものなのだろうか? 僕は浅学なので、床屋という言葉がどういう経緯で成立したのかまったく知らない。だから、どうも床屋という言葉が差別用語だと言われてもピンとこないのだ。むしろ床屋と言ってはならないという規制そのものが、差別染みてる気がするし、その言葉を使う方の意識のほうが問題なんじゃないかと思うのだけど、もし理髪店のみなさんが床屋という言葉に差別感を抱いているのなら、やはりそれは使わないほうがいい言葉なんだろうとも思う。まあここでは差別について難しい議論を交わそうなどとは思っていないので、とりあえず「美容院」「理髪店」ということで統一しておく。

それは高校に入学したばかりの頃の話。花の16歳、ちょうど色気づく年頃である。なんとなくパーマをあてるのが、かっこいいのではないかと思っていた。一念発起、初めて美容院に出向き、パーマをあてることにした。いろんなヘア雑誌をみて、自分に似合いそうなものをさがし出し、それを切り抜いてもっていった。たしか保坂尚樹がモデルになっていたと思う。おいおい!というつっこみが聞こえてきそうだが、僕だって、自分の顔が保坂尚樹と少しでも似ているとは思っちゃいない。ただそのパーマがかなり軽めの「部分パーマ」のようなものであり、あまり長くない髪でもできるというようなことが書いてあったので選んだのだ。初めての美容院にとまどいながらも、明らかにオカマと思われるお兄さんに、その切り抜きを渡し、こんな風にしてくださいと注文した。

お兄さんはしげしげと眺め、無言で作業を開始した。美容院も初めてであれば、パーマも初めてである。大いに緊張しつつ、言われるがままに「ハイ、ハイ」と答えていた。何を聞かれていたのかもまったく覚えていない。多分、その髪型に仕上げる上で、重要となることを聞いていたのだろう。切り抜きはあったものの、大きな写真ではなかったし、馬鹿なもので、切り抜きなどせず、雑誌ごともっていけば、その髪型の全体像を見せることができたのに、下手に切り抜いていたったものだから、ある角度からの写真だけになってしまった。多分、お兄さんは、その写真からは見えない部分をどうするか聞いていたのだろう。僕にしてみれば、全体像はすでに他の写真からインプットされているからわかっているのだけど、お兄さんにはなかなか判断つけにくい。しかし僕は緊張からか、そんなことにまで思考が及ばず、けっきょくお兄さんの言いなり、思うがままに進めさせてしまった。

途中から少しおかしいとは思っていた。部分パーマのはずなのに、頭全部にロッドをまきつけていたからだ。しかし何にしても初めての経験なので、そんなものなのかも知れないと自分自身に言い聞かせた。というより、臆病な人間なので、疑問に思ったことをすぐに問い合わせるということができないだけなのだが。なにせ、典型的な日本人体質なのだ。恥ずかしいばかりである。

パーマ液をかけ、待つこと数十分。ロッドがはずされ、洗髪がはじまり、そしてドライヤーがあてられた。髪が乾いていくにしたがって、どんどん不安が大きくなっていった。どこで完成なのか、これが完成なのか? 僕は焦った。ここからまだ何かするんだろう。何かするんだろう。しなきゃいけないぞ。と心のなかでしきりにつぶやいた。

しかし、お兄さんは非情にも「ありがとうございました。」と終止符をうってしまった。
僕は別人と向き合っていた。鏡にうつる姿は、どうみても数時間、数分前の僕とは別人であった。いったいあの切り抜きをどう見れば、こんな髪型になるのか? 不思議でならなかった。しばらく立ち上がれず、しばしば、その奇異な髪型をつけた自分を見つめていた。

「はじめてパーマをあてると、みんなこんな風になるもんなんですよ。」
あらかじめ用意していたかのようにお兄さんは言った。
「お客様の場合は、髪も固いですし。」
お兄さんは満足そうである。何を言ってるんだ!こんな風になるならなるで、はじめから言ってくれ!。それならパーマなどあてなかった。うぅ。泣きそうになった。

その髪型はたとえて言うなら、子供3人を育て、結婚当時より20Kg以上も太ってしまった、どこにでもいるような50歳そこらのおばちゃんのそれであった。所謂、おばちゃんパーマである。その昔、デビュー当時のトシちゃんがやっていたあれである。アニメならガンダムのアムロである。もう少しでアフロである。違う!違う!違う!切り抜きと全然違う!僕は心のなかで叫んだ。しかし、勇気のない僕は返す言葉もなく、店員に言われるがままに、1万円ばかりのお金を支払っていた。

帰り道、隠すものもなく、そのさらけだされたアムロヘアーを、すべての人が笑っている気がした。

悲劇はここで終わらない。僕は無知であった。ストレートパーマというものを知らなかった。ストレートパーマなるものがあることを知っていたなら、そんな愚かな行為はしなかった。

このままでは明日学校にいけない。こんな髪型で登校するぐらいならハゲのほうがましだ。すでに一度、友達との賭けに負けてハゲをしていたので慣れている。ハゲで笑われるのはかまわないのだ。むしろそれは笑われるためにやったのだという言い訳がきくからだ。ところがだ。パーマをあてて失敗、笑いものとなると、それは格好つけようとして、笑いものになるわけである。これは恥ずかしさ100倍だ。

僕はそのまま別の理髪店に飛び込んだ。やはり美容院などというところはいけない。オカマのお兄さんがいるようなところはだめだ。鬚そりもないなんてサービス精神が不足しとる。男は理髪店に限るのだ。

「ハゲにしてください。」僕は言い放った。中学は野球部である。ハゲだったのだ。慣れたものだ。
「どれぐらいの長さで?」理髪店の親父はもちろんオカマではない。鬚のこい、いかにも職人というようなおっさんである。
「スポーツ刈りを少し短くした感じで」切り抜きなどはいけない。やはり説明はこうでなければいけない。

あんなに時間のかかる、あんなにクサイ液をかける、あんなに高い料金のパーマなんてものは駄目だ。やはり散髪は30分そこらで終わらなくてはいけない。バリカンこそ命。

しかし・・・・ できあがった髪型をみて、また僕は呆然とした。
いや、髪型がどうのこうのというわけではない。おっさんは明らかに僕の要求通りの髪型に仕上げてくれた。違っていたのは、僕の髪がパーマをあてた直後だったということだった。

パーマをあてるのに使ったロッドの形がきれいな直線で、僕の頭に描かれていた。縦横にのびる線はまるでナスカの地上絵である。

「なんやこれ、パーマの跡がついてしもたなぁ」おっさんは照れくさそうに笑っている。
「◯×できるで、これ」しょーむないギャグまで飛ばしてる。他人事だと思ってこの野郎!

僕は途方にくれた。すべてあのパーマが悪いのだ。二度とパーマなんてかけるもんか! この世からパーマなんてなくなってしまえばいい。

それでも日は昇る。学校は始まる。まさか髪がのびるまで登校拒否を決め込むわけにもいかず、当然ながら、僕は学校中の笑い者とかした。僕の髪型みたさに、他のクラスや上級生までもの見にくるありさまであった。

あの日のことトラウマとなった。あれからというもの、ヘア雑誌も買っていないし、凝った髪型にしたこともない。当然、美容院にも行っていない。多分、美容院には二度といかないだろう。もちろん切り抜きなど滅相もない。

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