3つの原理

随分前に読んだものの、内容がなかなかのトンデモぶりなので、ブログで紹介するのは控えていた。


“3つの原理―セックス・年齢・社会階層が未来を突き動かす” (ローレンス・トーブ)

でも、ボク個人はこういう著者がここで語るような「ビックピクチャ」ってのが嫌いではない。「ビックピクチャ」とは、「歴史と未来を総合的、包括的、統合的に捉え、表面的にばらばらに見える過去、現在、未来の出来事を互いに連結させた視点」のこと。著者曰く、シュペングラーとトフラーのみがビックピクチャ的な捉え方をしている学者だという。
ボクは、ずばりシュペングラーの「西洋の没落」にしても、トフラーのいくつかの書籍も、少なからず影響を受けているので、「3つの原理」にしても、トンデモ本だと思いつつ、その青写真がけっこう面白くて惹かれてしまう。(シュペングラーやトフラーをボクはトンデモ本だとは思わないんだけど)

でも、実は、こういう話は最近の人はけっこう惹かれるんじゃないかと思う。何人かのスタッフに話をしたら想像以上に興味を持ったからだ。という意味でも、本書内で言うような「精神・宗教の時代」が徐々に近づいてきているということの証明になっている。なんてことを言いだすと、それこそ著者の思うつぼだが。

3つの原理とは、「カーストモデル」「性モデル」「年齢モデル」のことを意味する。
なかでも最も重要であり、根本的なフレームとして、本書内でも最も多くのページが割かれているのが「カーストモデル」である。正直、「カーストモデル」以外はオマケのようなもので、あってもなくてもよかったのではないかと思う。カーストモデルの説得性を強化するためにあえて都合のよさそうなモデルをもってきたようにさえ思える。なので、「カーストモデル」のことだけに絞って要点をまとめていこうと思う。

カーストモデル」とは、その名から想像がつくだろうが、インド・ヒンドゥー教の歴史哲学がベースとなっている。(もちろん、このへんが正しいのかどうか、ボクはインド哲学にもヒンデゥー教にも詳しくないので、よくわからない。あくまでも本書に書かれてあることを参考に書く)

著者によると、ヒンドゥー哲学では人々を四つの基本的な身分階層に分けていた。


(1)バラモン(求道者、宗教的あるいは精神カースト)
(2)クシャトリア(戦士)
(3)ヴァイシャ(商人)
(4)シュードラ(労働者)


そして、ヒンドゥーのカースト思想では、四つのカーストが代わる代わる世界を支配するとされている。
この「世界を支配する」という意味には次の3つが含まれている。


(1)支配カーストを率いる最も強力なメンバーが、その時代を支配するエリートであること。
(2)支配カーストの世界観と価値体系が世界的に最も有力な位置を占めること。
(3)その時代に最も発達し、最も隆盛をきわめる道具、技術、芸術、組織、機構が支配カーストに関連するものであること


この考えを著者は「歴史」にあてはめて考えてみる。それぞれのカーストが支配した時代と、歴史上の重要な時代、あるいは転換期などをあわせていくと、このカーストがぴったり当てはまるということを発見?したのだ。(かなり強引な解釈があるとは思うが)

各時代とカーストの対応をまとめたものを下記に示す。
各カーストと次のカーストは微妙に重なっているが、これは一方のカーストが頂点を極めたときには、すでにそれは没落の始まりであり、そのとき次の支配カーストが革命・発展段階にあるためだと説明してる。また、各カースト時代には連続する二つの異なる経済システムの時代に分けることができる。第一システムはカーストの革命・発展段階に優位を占め、第二のシステムは、その頂点の段階で優勢になるものだ。

精神・宗教の時代1
紀元前3000万年頃〜紀元前4000年/2000年
1)旧石器時代ー狩猟、採集、漁労、牧畜
2)中・新石器時代ー栽培、農耕、家畜の飼養

戦士の時代
紀元前4000年/2000年〜17世紀初頭
1)奴隷制
2)封建制

商人の時代
1650年頃〜1975年頃
1)商業・重商資本主義ー貿易、手工業、初期産業
2)産業資本主義ー機械工業、完全工業化

労働者の時代
1917年〜2030年頃
1)共産主義あるいは社会主義
2)社会民主主義、多国籍企業資本主義、あるいは日本式労働者カーストの「チームワーク」資本主義

精神・宗教の時代2
1979年〜
1)宗教的あるいは精神的資本主義ー単調で辛い仕事(肉体労働および知的労働)は機械が担い、創造的仕事は人間が行う。
2)無政府の統合経済ー人月と機械の統合

世界の国口は地域によって、属しているカースト時代は異なり、さらにこれらのカーストを順番に体験していくわけでもなく、1つ飛ばし2つ飛ばしで新しいカーストの時代に流れ込む場合もある。著者曰く、4つのカーストをすべて順序通りに体験してきた地域はヨーロッパと日本だけだそうだ。
例えば、ロシアは軍事優先の君主制、つまり「戦士の時代」から、共産主義体制の「労働者の時代」に入り、「商人の時代」を飛ばしている。北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランドなどは、部族・土着社会の「精神・宗教の時代1」から、企業家資本主義の「商人の時代」に一気に移行している、など。

このカーストモデルに当てはめて見れば、今は「労働者の時代」の終焉間際であり、且つ「精神・宗教の時代2」の革命段階、発展段階にある。「労働者の時代」に頂点を極めたのは、言うまでもなく日本だ。日本的な労働観、道徳などが最も適合した時代だったとも言える。著者の予言では「労働者の時代」は2030年に終末を迎えるわけで、もう凋落も始まってきているということになるだろうか。確かに、一時代を支えた日本的労働観や社会通念はいまや見る影もなくなりつつある。勤労、勤勉、まじめ、会社=家族、終身雇用による安定、突出した才能よりも平均点と団結力など、「労働者の時代」の価値観をもっとも色濃く反映したこれら諸々はすでに過去のものだ。

あるカーストから別のカーストに支配が移ると、人々の価値観や世界観、生活、文化なども大きく影響を受ける。その時代においては高貴とされたものが、次の時代では野蛮や野卑として見なされたりもする。例えば、「戦士の時代」においては、商人やビジネスマンはどれだけ金持ちで影響力があっても蔑視されていた。大都市は社会システムの中心ではなく僻地だった。ところが、「商人の時代」移るや、これらは最も価値あるものとして崇められる。

今、この時代は「労働者の時代」であるがために、「労働」が最も価値あるもの、重要なものという認識を多くの人が抱いている。働かざるもの食うべからずに代表されるが、働くという行為そのものが価値あることであり、清いものというような社会通念が広がっている。が、「精神・宗教の時代2」が発展していくることによって、そういった私たちが当たり前だと思ってた認識が時代錯誤、時代遅れのものとなっていく。

「精神・宗教の時代」では、その名のとおり「宗教と精神」そのものが重視され、仕事やカネは二次的なものにすぎなくなる
と著者は言う。この時代に発達する主要な道具、技術、機関、活動も精神的なものになる。
著者は最終的には「経済的平等」への働きかけが進むことや「自発的簡素化」を進める社会の到来により、労働時間も「数時間」で済むような社会が到来し、人々は時間を精神的、宗教的なものへ使っていくことになるだろうと、予測(予言)している。

西側諸国の人々(労働者カースト)は次第に成熟し、現在の労働者時代の社会と価値観を拒否するようになっている。彼らは自分たちの仕事や個人生活に意味がなく、満足感も得られず、地球にとって危険なものであることに気づく。そこで新たななカーストに加わる。意味をと満足感を求めて、まずは宗教的に「再生」する。だが、新たな時代の開拓段階が進むと、彼らは新たなカーストに加わる。それぞれが自分自身の方法で、精神的なものを求めるようになるのだ。


ちょっと驚くような見解や予測が出てきて、新しい宗教のようでもある。
しかし、この本の内容がウケるのだとしたら、それ自体がもしかすると「精神・宗教の時代2」の到来を予見しているのかもしれない。著者によれば、今の「労働者の時代」の終焉は2030年頃だ。それまでにも世界がいろいろなブロックを構成し、日本は「儒教圏ブロック」の一員となる、というようなことを語っていて、まだまだこの「労働者の時代」でも覇権を巡るさまざまな戦いや駆け引きが行われるらしい。
が、同時に、今は「労働者の時代」の終焉、フィナーレの真っ最中でもあり、新しい「精神・宗教の時代」の到来の助走段階だ。両者の価値観が融合しつつ、最終的には新しいカーストが勝利を納める。まさにこの不景気は「労働」や「過剰消費」といったものへの戒めとなり、このカーストを終わりに向かわせる引き金となっているのかもしれない。

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