稀代の発明家が提唱する「月3万円ビジネ」とは?

とても勇気づけられる本だ。
タイトルだけ見れば、巷溢れる個人ビジネスのテクニック本のように思う人もいるかもしれないが、本書はそういった本とは全く違う。むしろ正反対の本だ。
本書で藤村さんが語っているのは、これからの経済や社会のあり方についての新たな提案だ。

月3万円ビジネスとは、月3万しか稼げないビジネスであり、月3万しか稼いではいけないビジネスだ。月3万以上稼げるなら、その分は、仲間を増やして分配してあくまでも一人頭3万円の稼ぎに留めておかなければならない。

月3万円ビジネスは、ビジネスという言葉からイメージされるものとは、まったく違う。普通なら、あるビジネスが稼げそうと思えばもっと投資して、ビジネスを拡大していく、と考えるのだろうが、月3万円ビジネスではそれを否定する。そういうビジネスはいずれ奪い合いにしかならない。月3万円ビジネスは月3万円しか稼がない/稼げないから競合がいない、競合を作らない。月3万ビジネスは自身が住む地域で良いことを良い人に提供するビジネスであり、ネット販売もしてはいけない。ネット販売は地域を無効化してしまうので、ネット販売をやると安売りになってしまう。色々な地域でそれぞれの人が同じ3万円ビジネスをすればいい。
月3万円ビジネスは、従来のビジネス観とは全く相容れない、かなり異端のビジネス観だ。

では、月3万円ビジネスで現実どうやって生きていくのか?という疑問が湧く。答えは、月3万ビジネスを10個作る、そして出来る限り支出を減らして、少ない稼ぎでも暮らせるように工夫していく、という実にシンプルなものだ。(この辺りの工夫の仕方も、藤村さんはかなり具体的な方法や事例で示している)

普通のビジネスの感覚でいけば、「選択と集中」が重要だし、いくつものビジネスを並行でやるには、それなりのリソースも必要であり、大企業でなければ難しい、という考え方に帰着するだろう。しかし、月3万円ビジネスは、ビジネスの根本が違うので10個やることも可能だ。なにせ、月3万円しか稼げない稼いではならないビジネスだ。

本書には実際、月3万円ビジネスを手がけている人たちの事例が紹介されるが、なるほど、このレベルならこれなら自分にも出来るかもしれないと思えるようなものが多い。これなら10個の月3万ビジネスをやることだって決して不可能なことではないと思えてくるのだ。

ただし、それをやるには今の生活スタイルや、そこに根付いてる考え方そのものを見直さなければならない、藤村さんの言葉で言えば「マインドセットの変更」が必要となる。ビジネスそのものの難しさではなく、マインドセットを変更し、新しい価値観の上で生活を作っていく覚悟を決められるか。そこが鍵かもしれない。

本書で紹介されるビジネスや、実際月3万円ビジネスをやっている人たちの事例は、本当にすごく楽しそうに見える。そこにはただただ規模の拡大や利潤の追求に奔走して、競争を繰り返し、そこに巻き込まれる多くの人やモノを疲弊させていくようなグローバル化や超高度資本主義の闇みたいなものは微塵も無い。

自分たちの出来ることを、見渡せる範囲、交流できる生の人々の範囲でやる。ほんの少し人々が幸せになる。いい人がいい商品やサービスをいい人にだけ提供する。無理に多くを得ようとしてはいけない。多くを得たら分かち合い、より多くの人がその価値の連鎖に繋がれるようにしていく。

こんなのは夢見事だし、そんな理想が実現できるわけがない、多くの人はそう思うだろう。しかし、藤村さんはこれを実現させようと、自らもこういった理念に則った生活を送り、一人でも多く、こういった価値観で暮らしていける人を増やそうとセミナーやワークショップを続けている。
少しつづ賛同者は増えてきていて、実際、月3万ビジネスで生活を始めている人たちも出てきている。

藤村さんのような理念には、過剰に批判的な反応をする人も少なくはないだろう。皆が月3万円ビジネスみたいなことを始めてしまったら、それこそ経済は一層停滞し、結果的にそれは日本を弱体化させ、自分で自分の首を絞めることになる。そんな批判が起きるのは容易に想像がつく。しかし、こういった批判にも、藤村さんは、一流の科学者らしく、また稀代の発明家らしく、実に明確にロジカルな自論を展開し、こういった批判に対抗している。その内容が気になる方は、ぜひ本書を手を取って欲しい。

ふと、藤村さんの提唱するような考え方(月3万円ビジネスや、非電化生活)が、ものすごく異端に思えること、それ自体が実は経済とかビジネスとかの在り方の固定観念に毒されているだけなのかもしれないなと思った。成長しなければ生き残れない。拡大しなければダメ。そこに留まることは悪であり、マイナスなんだ、と従来のビジネスは考える。しかし、本当にそうなのだろうか。

杉浦日向子さんは、江戸時代は「三百年の退屈」だったと書いている。もちろん、ここで言う「退屈」はネガティヴなものでない。江戸時代は、庶民が好んで「持たない、出世しない、悩まない」という、「その日暮らし」を愉しんでいた「低生産、低消費」の超低燃費時代だった。だから「退屈」というものを積極的に愉しむことが粋とされていたわけだ。それができたからこそ、三百年の間、ダラダラした時代が成立したのだろう。
そういう江戸のあり方に今更戻れるわけでもないとは思うけど、そんな文化なら、労働人口縮小だとか高齢化社会だとか、低成長率だとかってのもなんとかなりそうな気がする。

実は江戸時代では、藤村さんみたいな考え方が主流で、今のビジネスや経済の考え方が異端だったのかもしれない。なんてことを、考えてると、そんなの今からできるわけがない、無理に決まってる、そんな考え方さえも、何かに毒されているだけなのかもしれない、と思えてきた。

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