新宿駅最後の小さなお店ベルク 個人店が生き残るには?
「新宿駅最後の小さなお店ベルク 個人店が生き残るには?」 発売されたのは2008年だが、このベルクというお店そのもののキャラクターと同じように、この本も長く親しまれ売れ続けてるようだ。ベルクは新宿駅にある立ち飲み&セルフ形式の個人店。もともとはコーヒー主体だったが、ビールやワイン、日本酒まで店主の趣味やお客さんの要望にあわせてメニューが拡大されてきて、今のような他にないユニークなビア&カフェという形態を確立した。
家主であるルミネとの立ち退き騒動で、たった15坪の小さなこの店の営業継続に1万人以上の署名が集まったことでも話題になっていたのでお店に行ったことはなくてもこの店の存在を知っている人は多いのではないだろうか。(1万人が怒りの声を上げた『ベルク』立ち退き騒動とは? – 日刊サイゾー)
今もルミネとの話し合いは続いているようだが、状況は良くない。まだ、営業は続けられてはいるものの、BERG! : 【店長ブログ】 お知らせ によると、2011年3月中に出ていってくれという一方的な通知があったようだ。本書を読むと、ルミネ側の強引ややり口には、思わずベルクという店そのものを知らないボクでも応援したくなる。これだけの人々に愛されてる店だ。それもどこかの年代や性別に偏るわけでもなく、非常に幅広い層に支持されているのだから、なんとか存続できる道はないものなんだろうかとも思うが。
本書には、このベルクの店長であり、経営者の井野さんが、個人店が生き残っていくための考え方や、自らの生き方を通じて発見したヒントなどが詰まっている。実践、現場で養われてきたポリシーや理念は、シンプルだけれど力強い説得力を持っている。
店の状況は、どんどん変わります。その度に頭を切り替えて、お客様第一に動くのが店における「現場主義」です。要するに、臨機応変な対応ですが、現場(接客)から離れると、その感覚が次第に失われるのです。だんだん管理しようとするようになります。管理とは、まさに「面倒事を想定して、事前に回避しようとすること」ですね。接客とは相反するものです。
このことを井野さんは、「現場では経営をしない」というシンプルな一言で言い切っている。これは飲食店や接客業だけに当てはまる考え方でもないように思える。現場を離れ、管理が優先されると、そこでは効率や効果、リスクを考えて、それらを回避していくことが重要視されてしまうが、それは目の前のお客さんにとっては嬉しいことではないだろう。
ボクらが従事するようなソリューション業でも同じなのかもしれない。目の前の案件や仕事やお客さんに「経営」を持ち込んでしまえば、より利益を生むことは出来るかもしれない。でも、もしかしたら、それによって失われてることも多いのではないか。それはお客さんの満足度を高めるために現場で臨機応変な対応をするということだったり。そういうものは文化だ。目の前のお客さんや案件に対して、リスクや面倒ごとの回避やらばかりを優先させていたら、そういう文化が染み付いてしまうだろう。
そういえば、ザッポスの経営も「現場では経営をしない」というポリシーに通じるところがあるように思える。
コールセンターを「経営」から見たら、1コールあたりの時間を出来る限り短くすること、効率をあげることが重要視されていくだろう。オペレーターは、マニュアルに沿って卒なくお客さんの相談を「処理」していくことが望まれる。しかし、電話をかけているお客さん1人1人から見たら、自分が抱える問題や課題がすべてだ。効率や経営を重視されて「処理」されたお客さんは、不満を抱くことはあっても、そこで満足や安心や信頼を抱くことはないだろう。
ザッポスでは、その真逆をやる。サポートスタッフにはその場で、お客さんの悩みをとことんまで聞いてあげられる権限があり、責任が与えられる。どれだけ1コールが長くなろうが、そんなのは関係ない。1人1人のお客さんにその場、その場で最大限尽くすことが最優先される。ここには、管理を重視して「「面倒事を想定して、事前に回避しようとする」という発想はまったくない。(「ザッポスの奇跡」を読んで、あらためて誓うこと – papativa.jp)
小さな企業、個店、ベンチャーが、大企業と同じように経営や効率やマーケティングやらというものばかりを考えていても、決して大企業に勝てるわけがない。それよりも小さいなら小さいなりの生き方や考え方を持つべきなのだ。
本書の中では個人的には以下の一節にすごく心を惹かれた。備忘録としてメモしておく。
時間を無為に過ごしながら、ふと思ったのです。才能とは、「場」じゃないか?と。自分がどの場にいるかってことじゃないか?と。自分に才能があるかどうかを問うよりも、どの場にいるか。
なかなか説明しきれないいろんな意味がこの中には込められている。井野さんは、ビートルズのジョンがポールという自分よりギターも歌もうまそうな人間をバンドに加入させたことなどを例に、自分の能力や才能の「自己表現」に酔うのではなく「場」をつくることの重要性とか意味みたいなものを語っている。こういう境地というか見解は、ベルクという理想的な場を作った井野さん自身の自負や自信の現れなのかもしれないが、すごく強い説得力とリアリティを持っている。