忘れ物王

学校の頃から「忘れ物」には定評があった。
僕のクラスでは、みんなの忘れ物数をカウントして、月間、期間でチャンピオンをきめたりというなかなか楽しいことをしていた。一番忘れ物が少なかった人と、多かった人をそれぞれ選出してミニ賞状を授与する。忘れ物が一番多かった人には罰ゲームみたいなものが待っていて、たしか教室前の廊下を忘れ物数×何十回という感じで、ふき掃除をしなければいけないとか、そういうことだったと思う。

忘れ物の数は自己申告制で、各人の机の右隅には今日の忘れ物数を「正」の字で数えるための紙がセロテープで張り付けてある。忘れ物がみつかったら、みんな素直にこの紙に棒線を一本づつ足していく。そして、終わりの会で、「今日の忘れ物数」をひとりづつが申告していき、それが「忘れ物グラフ」にしるされていく。
忘れ物グラフは教室の後ろ扉を入ってすぐのところに貼ってあり、縦軸が忘れ物数、横軸が生徒の名前となっていて、忘れ物の数だけその生徒の名前列に赤シールをはっていくようになってた。
これはなかなか楽しい試みだった。僕はこういうクダラナイことが大好きだ。子供というのは概してみんな好きなようで、誰も虚偽の申請をするものもいなければ、こんなのくだらねぇと冷めた態度で規律を乱すものもおらず、みんな暇があればグラフを眺めては、ああだこうだと話がはずませていたものである。

忘れ物グラフは一ヶ月ごとに新しくなるのだけど、当然ながら月はじめはみんな横一列で、各人きれいなスタートという感じである。ところが月も半ばにさしかかってくると、一人だけ頭一つ飛び出す奴がいる。競馬でも競輪でもだいたい鼻をとったものは、終盤で息切れして、後続から抜かれていくものなのだけど、このレースの場合はたいがい、そいつはそのまま圧倒的な強さで他をどんどん引き離してしまう。その生徒ってのは何を隠そう僕のことなんだけどね。「わたしの記憶が確かならば・・・・」って、料理の鉄人ではないけれど、5年、6年の2年間、総忘れ物品数は断トツだったはずだし、月間最多忘れ物品数、学期最多忘れ物数などの数々の華々しい記録ももっているはずだ。いまならきっと忘れ物界のイチロー、安打製造機ならぬ、忘れ物製造機なる異名をとっていたに違いない。もう10年おそくうまれていればと、とても口惜しいばかりだ。

何をそんなに忘れたかと聞かれると、こまる。
へんなオチをつけてるわけではないのだけど、ほんとに何を忘れたのかさえ忘れてしまってるからだ。要するにおそろしく忘れっぽい人間なのだろう。

筆箱や下敷きを忘れるのはざらだったに違いない。宿題は家でやったという記憶がまったくないので、たぶん毎日忘れていたのだろう・・・・ というか宿題はわざと忘れていたに違いないのだけど。実際、母に聞いてみると、5年のとき担任から、「しょういちろう君は一度も宿題をやってきたことがない」と言われたらしい。

とにかく、毎日のように何かを忘れていた。

僕の忘れ物史のなかでも、とりわけ印象深いひとつの忘れもの事件がある。
たしか5年生のときの遠足だった。秋だったか春だったかは覚えていないし、どこにいったのかも覚えていない。とりあえず、山? 高原のようなところにいった。

確か、3度休憩だか、見学だかをしたのだ。上りに1回、頂上で昼食をかねて1回、下りで1回だったと思う。その3回の休憩のすべてで、自分のリュックサックを置き忘れた。つまり休憩ごとにリユックサックを持たずに、次の休憩/見学ポイントにむかったのである。これはもう常識では考えられないことだが、ほんとの話だから仕方がない。事実は小説より奇なり、なのだ。

1回目のリユック忘れに気がついたのは、頂上についてからだった。弁当をだそうと思ったときになってはじめて気づいたのである。隊列を組んで歩いていたのだから、後ろを歩いていた友だちが気づいてくれそうなものだが、誰ひとり気づいてくれなかった。昔のことなのでわからないが、今思うに、歩きがてら荷物持ちごっこなどをする連中がいっぱいいたので、その一人に間違えられ、リユックを持っていないことも不思議に思われなかったのではないか?

はじめは家に忘れてきたと思った。これはよく覚えている。
よく学校にランドセルを忘れて行ったことがあるので、それと同じようにリユックごと忘れたと思ったのだ。
先生に言いにいくと、「ゆで麺くん持ってたやないの~」という返事。「さっきの休憩場所に忘れてきたんやわ~」 先生はかなり呆れていた。結局、先生と一緒に、1回目の休憩場所に戻った。案の定、木のふもとにぽつんとひとつだけリユックが放置されていたのだった。

リユックをとって、2回目の休憩場所に戻るともうご飯を食べる時間しか残されていなかった。2回目の休憩場所での休憩時間はかなり長く、お弁当を食べた後は、草原で遊んだりできたのだが、僕には当然ながらそんな時間もなく、先生といっしょに寂しくお弁当を食べた。

走ったり、いそいでお弁当を食べたりしたためかどうだかは知らないが、それでお腹が痛くなったのだ。まあいつものことである。ここぞ!というときには生まれもっての胃腸の弱さが発揮される。

もうすぐ出発、みんな整列!というときになって、お腹がごろごろいいだした。このまま出発するとまた大変なことになるかもしれない、と思った僕は、急いで便所に駆け込んだ。うんこをしていることがバレるのはものすごく恥ずかしかったに違いないが、それでもうんこに行った。
そのときにまたしてもかばんを置いてきてしまったのだ。便器のふもとに。多分、一番最後の便所利用者だったんだろう。人が待っているような便所でうんこができるような図太い神経を持ち合わせていなかったから、みんなが便所からいなくって、最後の最後に急いでうんこをしたに違いない。だから誰からもそのリユックは発見されなかったのだ。

出発してからしばらくして、先生が「ゆで麺くん、かばんわ~?」と声をかけた。
そのときになって、はじめてまたリユックを忘れてきたことに気づいた。「また忘れてきたん~!」先生もびっくりである。こんな馬鹿を見て、いったいどう思ったろう?

ふたたび、先生とリユックをとりに戻った。幸い気づくのが早かったので、すぐに駆け足でもとの隊列に戻ることができた。

そして、第三回目の休憩場所だ。二度あることは三度あるとはよく言ったものだ。
なぜここでも忘れたのか不思議でならない。それほど長く停まっていなかったはずなのに、僕は人知れずリユックをおろして、そのまままた出発したのだ。わざととしか思えない。ほとんど先生に対する嫌がらせである。
2回も同じことを繰り返していながら、まったく反省もせずに、なぜまたリユックを降ろしてしまったんだろう? おそらくしんどいからだ。走ってつかれて、ふぅとリユックを降ろしたのだ。しかも自分ではどこで降ろしたかもわからないまま、降ろしてしまったのだろう。ふたたび出発したときに、今度は、自分でリユックがないことに気づいた。そのとき先生がどんな反応をしたのかはまったく覚えていない。ただそのときの通信簿に「かなり注意力にかける」と書かれたことだけははっきりと覚えている。たぶん普通の人なら1度でさえやらないことを続けさまに3度もやってしまったこの少年を見て、先生も怒りより、哀れみに近い感情を抱いたに違いない。

次の日、「忘れ物グラフ」にすぐさま3つの赤いシールが貼られたのは言うまでもない。

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