「四十日と四十夜のメルヘン 」もやっぱり凄かった

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四十日と四十夜のメルヘン

「私のいない高校」(三島賞受賞作「私のいない高校」の面白さ | papativa.jp)を読んでから俄然興味がわいて、デビュー作にさかのぼって読んで見た。
デビュー作というのは、音楽でも文学でもなんでもそうだけど、やっぱりその人の原点というか、その人の能力や資質みたいなものの原石みたいなものが詰まってると思うからだ。

いやはや、これはなんという作品だろうか。やっぱりこの人は凄い。
完全にぶちのめされた。この「四十日と四十夜のメルヘン」といういささかロマンチックな臭いのするタイトルと、小説世界で繰り広げられる超矮小的日常とのギャップ。主人公の視点の偏狭さとその倒錯ぶり。

エピグラムが野口悠紀雄の『「超」整理法』からの抜粋「必要なことは、日付を絶対に忘れずに記入しておくことだ。」という時点で、吹き出しそうになったし、これはこれはなんと言うすかしっぷり、余裕派の登場だろうと俄然期待は盛り上がり、読み進めてもその期待は裏切られることなかった。凄まじくくだらない世界がおそろしく真面目に繰り広げられることの面白さとはこういうものか。
もちろん、ストーリーを紹介することも、何かしらの社会的な意味や、テーマにつなげて語ることも不可能。これはもう小説、文学としか言いようのない何かだ。

1つ取り上げるなら、なんといってもこの独特の文体だ。なんというか大まじめにやってることなのに、傍からみたらすごく巫山戯てるといのがこの人の文体なんじゃないかと思う。

ただそうしながらも、頭の片隅ではずっと七月七日のことを気にかけていた。七日の午前零時前後、ベランダで天の川を探しながらふと「小説が書けないならメルヘンを書こう」と思い立ったこと、「いまはまだ七夕の夜ではなく七日になったばかりだ」と気づくまでそうやって天の川を探しつづけていたこと、そして部屋へ戻ってチラシの裏にメルヘンを書きはじめたこと、そういったことどもを日記に残そうとしたのだった。


文章の論理構造が破綻しているわけでもないのに、なんだろうこの文章の奇妙な感じは。
七月四日から日記を書き始め、なぜか四日間で力尽きてしまう主人公。しばらくしては、また七月四日の日付を記し、日記を書き始めるが、やはり七日で止まってしまう。そんなことばかり繰り返していた主人公が、「頭の片隅」で考えていたことがこれだ。

つまりこれはすでに七月七日を過ぎた地点から書かれてる。その地点からどうしても「七月七日」が気になっている。
「七日の午前零時前後」に天の川を探しながらメルヘンを書くことを思い立つという前半の文章と、その後の「いまはまだ七夕の夜ではなく七日になったばかり」だと気づくまで「そうやって」天の川を探し続けてた、という文章はリニアな時間軸で処理されてるように見えつつ少し違和感がある。それは前半で語られる時間軸を後半の文章が上塗りするように同じ時間軸でかぶさってくるところにあるのではないか。文章としては後半の文章は、前半部分の補足説明みたいなものなのだけど、多分、普通に美しい文章を書こうと意識したら、こういう文章にはならない。文書の順番や組み立ての方法は別の方法をとるだろうと思う。というか、この「七夕の夜ではなく七日になったばかり」ということに気付くまで、という文章はそもそも必要がないのかもしれない。ただ、ベランダで天の川を探しててて、メルヘンを書くことを思い立って、部屋に戻ってチラシの裏にメルヘンを書き始めた、だとしても状況としては十分だ。でも、主人公は「そういったことどもを日記に残そう」とする。主人公にとっては、「今が七夕の夜じゃない」ということの気づきも重要なことだということだ。もちろん社会(=読者)にとってはどうでもいいことなのだけど、そのどうでもいいことと、主人公が書き残そうとすることとのギャップにも、この小説が持つ独特な雰囲気を生み出すものが含まれている。破綻してない文章なのに、なぜか文章がどこか破綻しかけてるように思えてしまう奇妙な感じ。こういう文章を意図的に作り出すのは、多分、いわゆる美しくわかりやすい文章を書いたり、自動筆記とかで壊れた文章を作るよりも当たり前だけどよっぽど難しいことだと思う。

単に主人公が変な行動をとるとか、喋りが変とか、そういう部分でのズレ加減だけでなく、主人公の思考をそのままトレースするような、この文章の違和感が小説全体のどこかズレてて、壊れてる世界を絶妙に表現している。変わり者というのが、たいてい本人はまったくそんな自覚なく、大真面目にしてることが、傍から見るとてつもなく「変」というのと同じか。この主人公の思考は、この主人公にとってはいたってマトモなのだけれ、少しづつ少しづつズレてて、そのズレに読者は引き込まれていくのだ。

併録されてる「クレーターのほとりで」は、表題作に輪をかけての壊れっぷり。
ここまで壊れたら、もう面白さも損なわれてしまいそうなところだが。そこで踏みとどまってしまうところがこの作者の力量なんだろうか。すごい新人が現れたものだなぁと。日本の文学界も阿部和重以降、パンチのある新人があまり登場しないなーと思ってたけど、この人はかなり楽しみだ。

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