「間」をどうデザインするか「僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方」

僕らの時代のライフデザイン 自分でつくる自由でしなやかな働き方・暮らし方
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ソーシャルメディアやモバイルデバイスを駆使しながら、一年間、家や仕事場を持たず、まるでフーテンの寅さんのように黒いトランクを片手に東京を旅しながら暮らすという実験「ノマド・トーキョー」を実践した著者の記録です。前半は、その「ノマド・トーキョー」の始めるに至ったきっかけや著者自身のそれまでの人生などが語られます。著者はノマド・トーキョーを通じて、少しづつ新しいライフデザインというものを考え始めます。
そして、後半は、ノマド・トーキョーを通じて出会った、今までの規範的な価値観からは少し逸脱しつつも、自身のライフデザインを楽しく豊かにしようと取り組んでいる「ライフデザイナー」たちの姿を捉え、そこから新しい生き方を提示します。

本書でもたびたび出てくる「間」というキーワード。僕たちの普段の生活や人生は、幾度もある種の二者択一を迫られます。仕事とプライベート、会社員とフリーランス、都会と田舎。どちらかを選べばどちらかを犠牲にしなければならない。そんな生き方を強いられてるように思えます。しかし、本書で取り上げられる「ライフデザイナー」たちを見ていると、こうした二者択一というものが、いかに固定観念なのかということを思い知らされるのです。どちらかではなくどちらも。二者の「間」を行き来し、その「間」をどのようにデザインするのか、本書では多くの実践者たちの姿が捉えられています。

本書のトーンが素敵だと思うのは、こういう新しい生活や仕事スタイルを、旧来のスタイルと対比させて礼賛するというようなことをしていないことです。ややもすると、この手の本はどちらか一方を悪として扱いがちなのではないかと思いますが、本書では、ここでも二項対立ではなく、その「間」を意識した内容になっています。だからこそ、本書を読んでも「とはいってもそんなことが出来るのは一部の人だけだろう」と諦めてしまうようなことにはならないのです。そういう可能性もありえるだろし、そういうライフスタイルと、旧来のライフスタイルはきちんと共存できるように思えるわけです。

本書の中で、印象に残ってるのは、仕事づくりレーベル「ナリワイ」を運営する伊藤さんが語った次のような言葉です。

大正時代の資料には、日本には三万五千種くらいの仕事があったそうです。それが現在、二千ちょっとくらいに激減しているらしいのです。
「これは戦後、極端に、『会社員という名の専業』が増えてしまったからだ」と伊藤さんは唱えます。
「昔は、たとえば百姓といっても、農業だけしていた人はいませんでした。みんな大工もやるし、藍染めもやるし、いろんな仕事をやっていたんです」

伊藤さん自身は「仕事も、ほしい物も、自分でつくるのは面白い」をキャッチフレーズに、複数の仕事を組み合わせて、生計を立てるということを実践しています。たとえば、学生の頃から毎年モンゴルを訪れていて現地の人との交流があるということを強みを活かして「モンゴル武者修行ツアー」という体験ツアーを年二回企画したり、「熊野暮らし方デザインスクール」などのワークショップ、東京のシェアオフィス、京都の一軒家を改装した貸しスペース「古今燕」の運営、田舎の木造校舎を借り切ってのウェディングのプロデュース等、「専業」の「仕事人」ではなく、さまざまな職業を縦横無尽に実践しているのです。

「会社員という名の専業」が増え、多くの職業が消えてしまったことは特段、悪いことでもないと思いますし、かといってそれが素晴らしいことかというとそうでもないとは思います。ただ、少し昔には、それだけの職業があり、多くの人は「専業」でなく、様々な職業を掛け持ちしていた、そういう社会が成り立っていたということを考えてみることは、今の自身の生活やキャリアを考えていく上でも、何かヒントが潜んでいるような気がします。

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